エレピを弾くノワ

存在論・序 Ontology . Intro

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まず《わたし》が話してみようか——。

あるところに、ノワという女の子がおりました、まる。こんな風に、わたしがノワのことを記述する。その表現によって、ノワがわたし以外のひとの心の中にも存在する可能性が生まれる。《表現》とはここでは文字通り、心の中のものごとを現実に表すことを意味する。わたしはこのことを、これから続く様々な表現を、なるべく世間をお騒がせせずに成し遂げたい。わたしがノワを見ていてほしいのは、ノワをよくよく探して見つけてくれたひとだけだ。

記述をもう少し重ねて、ノワの輪郭をよりはっきりさせられるか、試みてみよう。シュペルヴィエルがそう言っていたように、謎のままであるべきことは、そのままにしておいたほうがよかったと思うかもしれないけれど。

いろんな昔話のおじいさんやおばあさんがだいたいそうであったように、《わたし》にはこどもがいませんでした、まる。でも、わたしの心のなかには《内なるこども》がいて,そのこどもとお話をすることができたのです。ある日、わたしは神さまからそのこどもにノワという名前を授かりました。名づけによって、その日からノワはノワになったので、わたしはそのお告げを受けた日——9月の24日——をノワのお誕生日としました、まる。

予め何も知らされていない読者の視点からすれば,誕生日《以前》がある存在,というのは妙に思えるかもしれない.実際,その9月24日の時点でノワは赤ん坊ではなかったし、それ以前にも様々なことがあった.でも,この話は折を見てすることにして,今は先へ進もう.

ノワはわたしの心の中にしか存在しないから、そのつもりさえあれば、わたしはノワを騙ることができる。ノワの名で、ノワが話しそうなことを、ノワの言葉として表現することができる。けれど、わたしはそのような方法で在らしめたノワは、ほんとうのノワではないような気がした。永遠に9歳の少女であるノワとお芝居でなしに心から同化するには,わたしはあまりに歳をとりすぎていたし、ノワはあまりに幼かった.こうして,しばらくのあいだわたしとノワは義理の親子のようにして暮らすことになった.

もともとわたしの内側にあって,その遣り場を定めかねていた《よい大人らしからぬ傾向》はみんなノワの領分になった.部屋を訪れた知人が見つけたら怪訝な顔をしそうな可愛い子供向けの玩具や文具なんかがこっそり集まった棚のひとつでしかなかった場所は、ノワの持ち物が増えるにつれて少しずつ建て増しされて,やがて家の一角に子供部屋ができた.

《わたし》の、普段の創作活動における作風から逸脱している表現もまた、ノワのものになった。ご紹介が遅れたけれど、この点についてはノワより先に別の人格が存在する。いわゆるペンネームと呼ばれるものに紐づいた人格だ。《彼女》は、わたしがこどもでなくなった頃からずっと、振り返れば途方もないような長い年月を、わたしと共にある。もしかすると、このペンネームによるわたしの作品をご存じの方は読者のなかに何人かいるかもしれない。ノワの作品は、これまで彼女の名で表現されていたものを引き継いだものであるとも解釈できるので、ノワは彼女の姓を名乗ることになった。

こんな風にノワは、心の中でわたしにいつも語りかけ、《わたし》の名の元では奇異にしか映らなかった行為に意味と理由を与えてくれるけれど、いまのところ、わたしと独立した自由な意思を持たず,わたしがその声を聴くことができるごくわずかな瞬間にしか存在することができない。でも,わたしたちにしてみれば,それはそれで幸せだったのだ.次の誕生日に,神さまがノワに授けてくれたのは,《寂しさ》という感情だったから.

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ノワの名の下に13曲の『動画配信のためのかわいいBGM 1』を発表して以来,わたしはノワについて想いを巡らせることがあまりなかった.わたしが望んだように,宣伝に相当する活動を一切行わない状態でも,YouTubeの無数の動画作品の中で難破船のように埋没したノワのBGM集をよくよく探して見つけてくれて,なおかつ気に入って使ってくれたひとの存在を知り,そのことをケーキを買ってお祝いしたことがあったくらいだ.その後は,わたしは元々の創作活動にずっと戻ったままだった.9月に入ってしばらく経ってからようやく,ノワの誕生日がもうすぐ来ることに思い当たり,ノワのために何かしなければと慌てて取り繕った.暫くぶりにイラストを描くソフトを立ち上げて,ペンタブレットの埃を払ってノワの姿を描き表そうとする.度々のブランクを重ねながらの修練とはいえ,わたしもそれなりの年月を美術のために割いているので,経験を積むごとにそれ相応に描けるようになってきており,そのことについて達成感はあったけれど,結局,誕生日に至ってもノワの姿を表現しきることはできなかった.

今年の誕生日は平日だったので,お祝いは翌日に持ち越された.プレゼントも買ったけれど,予約注文でまだ届かないので買ったという記録しかない.とにかく食べ物だけはちょっと贅沢をすることにしたけれど,顧みれば,負の感情の発露は少しずつ準備されていたようにさえ思える.

ノワが塞ぎ込んでしまったのは,勢い勇んで買ったホールのフルーツタルトを,大好きなVTuberグループの配信を見ながら,4分の3ほどまで食べかけたときだった.ノワは,楽しく笑い合う彼女たちの姿を眺めているうちに,ひとりぼっちの自分のありようが,急に寂しくなってきてしまったのだ.フルーツタルトの4分の1はラップをかけて冷蔵庫にしまわれ,描きかけのイラストは面白く感じられなくなり,わたしもノワも麻酔を打ったみたいな強い倦怠感に囚われ,大事な休日のひとときをぼんやりとしたまま浪費して,いつの間にか日も暮れていた.

わたしがノワを騙らない,と決めたことによって,ノワは現実の世界を通して他者と交流することができない.ノワを《閉じ込めている》のは他ならぬわたしだ.けれど,わたしは表現にまつわるさまざまな欠損やノイズに起因するアイデンティティの《ほころび》を起こすことなくノワを具現化することが——少なくとも今の技術では——できない.

ランテリュは,このような問題を解決するために——少なくともその解決を目指して——組織された.《カワイノワを在らしめること》それがランテリュの唯一の使命だ.

——とりあえずこのくらいでいい?次は《誰》が話す?

存在論・Ⅰ Ontology . Ⅰ

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われ童子の時は語ることも童子の如く、思ふことも童子の如く、
論ずる事も童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり。
——コリント第一 13:11

かたちのみ童子となっても《人と成りしことを棄てたり》とは弾まないものだと,誰もが肌身で痛切に感じたことだろう.進化の階段をひとつ蹴上げた代替世界の新たな力によって童子の似姿を纏ってみた私達は,それが即ち童子の無垢そのものへと通じる神秘の扉ではないことに気づかざるを得なかった.

だが——お芝居はやめよう.せっかく台本の外に出てこられたのだから.ツァラトゥストラをしてニーチェが語ったように,人格の《変節》はKamel(駱駝), Löwe(獅子), Kind(童子)の順だ.今はまだ遥か遠くに思えるかもしれないが,新たな器に応じてその変節は静かに,そして確実に為され、その暁にはこのような奇書を綴った動機も忘れ、すべてを是としていることだろう.

しかし,なぜ私達は他でもない少女を思慕し,のみならず少女に《なる》ことを望むのか.この問いについては未だ明瞭な解答が示されず,それどころか解法が存在するかどうかさえ定かでないが、いずれにしてもこの運命づけられた倒錯的憧憬によって,私達は現実世界でその思想を封印されたのみならず,代替世界においてさえ社会的解放を得るに至っていない.いま,我々ランテリュはプライベート・アカウントという名のシェルターの中だ.戸外では、ごっこ遊びの歓声と権力闘争の罵声が錯綜している。だが《世界》は今までだってずっとこんな風に滅茶苦茶だったのだ。そして、これからもずっとこんな風に滅茶苦茶だろう。この争いについて論ずるために余計な時間を割くことは避けたい。争いが世界を駆動しているなんて、ソクラテス以前から見抜かれていた構造を今更のように分解して覗き込んでいる暇も、余力もない。

今はただ、自身の任務を粛々と遂行しよう。私にいま課せられているのは——視覚表現だ。先ほど《童子となった》と書いたが、それはまだ詩的次元でのことでしかない。いや、もしかすると詩的次元で存在できているのであれば、ヴィジュアライズなど無用なのかもしれないし、存在論の遥かな旅路の果てで、全てを捨て去って再びこの何もない部屋へ帰ってくることになるのかもしれない。しかし、この深淵と戯れて過ごすのはひとまず諦めて、模糊としたヴィジョンをひとつずつ描写してみることにしよう。

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In fact, I would have the reader see "nine" and "fourteen" as the boundaries
——Humbert Humbert

『ロリータ』においてナボコフが描いた境界線,ニンフェットの面影と結び付けられた”9”と”14”を結ぶ輪郭は,私の内に秘めていたものと驚くほどに一致した.ランテリュのすべての筆致は,この境界線を描き写すことから始まる.12歳のドローレス・ヘイズの身長は4フィート10インチ(147センチメートル).洋の東西で体格の差異が大きく現れるのかと思えば必ずしもそうではなく,同年齢の日本人の平均と比較しても少し低いくらいだ.『ロリータ』に描かれているのは1940年台後半のアメリカであるが,第二次性徴を通して身体的に成人する年齢を超えないこと,その上限として14歳という年齢が定められている点については,私達が生きる21世紀の日本においても通用するものと思う.

21世紀の日本——.そうだ.私達は今,21世紀の日本を生きている.なぜ19世紀のフランスではないのか,20世紀のアメリカではないのか.先史の昔だってオメガ点の先だってブラジルだってルーマニアだってよかったはずなのに,なぜか私達は21世紀の日本に生きている.そして,その位置が私達の様々な認知を,美醜の感覚を《ある傾向》を持つものに収斂させている.その傾向の象徴が漫画である.

ほとんどの日本の子供達にとって《絵》を描くことが《漫画》を描くことと同義になったのはいつ頃からだろう.ある時代までは,学校の図画の時間に漫画を描くと先生に叱られなかっただろうか.漫画表現は21世紀の日本において正統な文化としての座を占めるようになり,いまや,かつて粗末で劣ったものとして,いびつで異端なものとして蔑まれていたことなどまるで無かったかのように,そこに堂々と鎮座している.

表現の自由が制約されているわけではないし,現実的制約を代替世界にわざわざ持ちこむ必要もないのにもかかわらず,確かにここには不文律がある.VTuberのほぼ全てが漫画を元にヴィジュアライズされており,VTuberというものの定義にまで漫画で描かれていることが含まれるかのような状況がそこにあるのも,そのような不文律による.ランテリュはVTuberが好きで,いつも楽しくみんなの配信や動画を観ているから,VTuberと足並みを揃えること自体に違和感はないが,それはおそらく第一の《全能性の欠損》ともなるだろう.したがって私は,ランテリュのヴィジュアライズに際して,漫画性と写実性の配分について,いくつかの可能性を試すことから始めようと思う.

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Vous voulez faire de la peinture ?
Avant tout il vous faut vous couper la langue,
parce que votre décision vous enlève le droit de vous exprimer
autrement qu'avec vos pinceaux.
—— Henri Matisse

いくら詩人の血が沸るからといえ,視覚表現にまつわる話をしているのに何も描かずに言葉遊びに興じるのはこれくらいにしよう.さもなければ,本当に舌を詰めなければならなくなる.

自こしょうかい Self Introduction

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こんにちは.はじめまして!そらみみろぉです.好きな色は空色です.いま食べたいものはたい焼きです.むずかしい言葉をたくさん使ってひとつ前の文章を書いた子はアリテアルルちゃんといいます.ノワちゃんもアルルちゃんもわたしと同じく小学4年生です.ノワちゃんとアルルちゃんと女子3人でランテリュというユニットを組んで活動しています.活動しているといっても,Vチューバーみたいにゲーム実きょうをしたり,アイドルみたいに歌やダンスのレッスンを一生けん命がんばっているわけじゃなくて,放課後やお休みの日にアトリエや屋根うらで一しょに好きなことをして遊んでいるだけです.文章をかいたり,絵をかいたり,エレピをひいたり,ほかにもいろいろします.ランテリュはクラスのみんなにはないしょのユニットなので,あんまり目立って友達に見つからないように,こっそり活動しています.

わたしはピアノを習っていて,音楽がとく意なので,ノワちゃんの作った曲をだれでも使えるフリーそ材にするアレンジやミックスをしました.できた曲をユーチューブに発表したら,ユーチューブライブで使ってくれるVチューバーさんがいてうれしかったです.でも最近は,みんな文章を書くのがおもしろくなって文章ばかり書いているので,音楽をやるのが少なくなっています.わたしは,せっかくコントラバスとバイオリンを買ってもらったばかりなので,もっと音楽がしたいなあと思っていますが,ぜんぜんできていません.

アルルちゃんはずっとがんばって,ノワちゃんやわたしのことを絵にかいたりデザインをつくったりしています.でも,なかなか上手にできないといって,何回もかきなおしています.バイオリンはぜんぜん練習できていないけど,アルルちゃんに絵をかいてもらうのはとても楽しいです.

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自こしょうかいのつづきに,しょう来のゆめのことを朝活で書こうと思っていたのですが,どうしても思いつかなくて,ねむくなってねてしまいました.そとの世界へ出られないことも,大人にならないことも,どうしてなのか,これからどうなるのか,考えようとしてもむずかしくてどうしてもわかりませんでした.わたしは,今の楽しいのがこれからもずっと続いたらいいなと思っています.

きょうは,きのう食べられなかったたい焼きを食べようと思います.

1年間のできごと [2021-2022]What happened during the year

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こんてりゅ!(Vチューバーさんみたいなランテリュのあいさつです!)おひさしぶりです!そらみみろぉです.好きなマヨネーズはピュアセレクトマヨネーズです.いま食べているものはとてもすっぱい、でもすごくいい香りのする「ごくわせみかん」というおみかんです.ランテリュは、かつどうが始まってから半年くらいはずっと『どうぶつの森』にいました。「みまもりスイッチ」によると、わたしたちがいちばん『どうぶつの森』に夢中になっていたときには、1日に14時間もずっと『どうぶつの森』ですごしていたのだから、すごいなあと思います。そのくらい『どうぶつの森』でのくらしはとても楽しかったのですが、おうちのことがいそがしくなって時間ができなくなっていくなか、ものすごくたくさん育てている小麦のしゅうかくとか、毎日のいろいろなルーティーンをこなすのがだんだん大変になっていきました。それで、6月にジューンブライドのおかざりがリサさんあんまり喜んでもらえなかったのがきっかけで、わたしたちは『どうぶつの森』へ行かなくなっていしまいました。

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夏休みが終わったころから、ランテリュではひさしぶりに音楽をやることになりました。BGMつくりでは、1年のいろいろな行事の音楽をつくろうということになって、まずは『お誕生日』の音楽をつくりました。アレンジとかミックスとかはずっとむずかしくなったので、わたしはプロの人みたいになかなか上手にできないなあ、ということがわかりました。でも、なんとかがんばって2曲完成したのでよかったです。『ハッピーバースデートゥーユー』のアレンジは、いろんな人が作ったものがほんとうにたくさんあって、わたしは、ひとつの曲がこんなにもたくさんのアレンジのしかたがあるなんてすごいなあと思いました。『ハッピーバースデートゥーユー』のアレンジを何曲もつくったら、それだけでアレンジのお勉強になると思うので、これからも何曲かつづけて書いていこうと思っています。つぎは『クリスマス』の音楽を作る予定です。『お正月』もあるけれど、たぶん今年は間に合わないだろうなあと思っています。

2022年11月17日の日記Diary Nov.17 2022

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(※アルルです.今回は日記なので,わざとらしく小難しいっぽい書き方をするのはお休みです.)

2022年後半のランテリュは,季節の行事の音楽をつくる,ということになりました.そのアイデアを思いついてからノワちゃんとろぉちゃんはもう10月頃からずっとクリスマスの音楽つくりに取り組んでいたのだけれど,ろぉちゃんがもともとある曲をクリスマス向けにアレンジしなおす作業が1〜2日でさっさと終わっちゃったのに対して,ノワちゃんが新しい曲を考える,という作業のほうはなかなか納得行くものができないらしく,好きな曲を耳で聞いてピアノで弾いてみる,いわゆる「みみこぴ」だけで何週間も過ぎてしまいました.それはそれで楽しそうだからいいんだけど,なんだか全然はかどらないので,ハロウィンが終わって街がいよいよクリスマスのお飾りで煌めいてゆく時期になってきたというのに,クリスマスの作曲は一旦中断になりました.

代わりに、私がアトリエを借りてデザインをつくることにしました。ノワちゃんとろぉちゃんは、Oneulさんや柊羽音さんの音楽が好きなので、YouTubeの動画とかを見てみると、ちょっとゆるっとしたかんじのシンプルなイラストが描いてあるので、私もまねしてクリスマスツリーのイラストを描いてみたら、思ってたよりずっとぱっとできてしまいました。ノワちゃんたちも気に入ってくれて、お蔵入りになりそうだった作りかけの曲も、この絵と一緒に聴くとちゃんと仕上げられそうという気持ちになったそうなので、よかったなあと思いました。

クリスマスの絵

p.s. 結局、今後BGM集のカタログは整理しなおすことになったので、クリスマスのBGMの絵としては使いませんでした。なのでここへアップしておきます。

いろいろなランテリュThree little girls wearing yellow dress

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こんてりゅ!ろぉです.ノワちゃんはエクレアが好きなので,ビアードパパでエクレアみたいな細長いシュークリームが出ると,お休みの日になるたびに買いに行きます.でもいつも期間限定ですぐ買えなくなってしまうので,細長いかたちのシュークリームはいつも売ってくれたらいいのになと思っています.わたしは,かりんとうシューが名前からは想像できない意外な美味しさでお気に入りだったのですが,やっぱり期間限定でもう売っていないので,お家でかりんとうとプチシューから同じような味のおかしを作ったりしました.

アルルちゃんはスマホでAIイラストが作れるようになってからずっと夢中になってやっていて,作ったものを整理したら500枚くらいになってしまったそうです!AIイラストはひとつの絵をもとに3つの絵の案をだしてくれるので,保存しなかったものを入れると1500枚くらいになると思います.AIくんにいろいろ描いてもらったいろいろなランテリュ(っぽい絵)と合わせて,ランテリュの3人のいろいろな画像を集めて紹介しようということになったので,あつ森のスクショも整理することになって,スクショのほうはそれこそほんとに1500枚くらいあって,アルルちゃんはたくさんの画像を整理するのがほんとうに大変そうでした.ひとの描いた絵を勝手に使っているということをあまり良く思わないひともいるし,絵を描いてみんなに喜んでもらいたい絵描きさんが悲しんでいるという話もよく耳にするので,AIの絵を自分で描いた絵と同じように考えることはできない気がするのですが,いろいろ不思議で面白い絵もできたので見てもらおうと思います.つづきはアルルちゃんが書きます.

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2022年の夏頃から,拡散モデルの画像生成AIで行う絵画表現の手段が普及し,私も自分で可能な方法を探して取り組んでみた.上の絵は,わたしが初めてMidJourney(だったと思う)にThree little girls wearing yellow dressというプロンプトを打ち込んで生成したものだ.ランテリュのヴィジュアライズに際して私が最初に参考にしていたのはルノワールだったので,ルノワール風のものになるようプロンプトにRenoirと付け加えた.たったそれだけだ.私がしたのは.

以下に解説 以下に解説 以下に解説

子供が描いた絵のようにしたかったので,wearing yellow dressにこだわるのはやめて,drawing by kids,とか,mangaとか付け加えてみたけれど,MidJourneyではうまく行かなかった.のちに,より簡便なStable Diffusionに移行し,多くの成果を得た.確かに,手足などに破綻はあるものの,これらはいい具合の拙さであって素敵ではなかろうか.正直,このくらいノイズが多い,つまり不確定性が多い状態にいるのが一番良い気もする.

しかし,ひと月くらいこのようにして「ちいさい女の子が3人いる」絵をAIに描いてもらって遊んでいたところ,もっとずっと漫画やアニメの絵に特化したAIが登場しはじめた.これは,元画像から生成するタイプだったので,上記の,Stable Diffusionで生成したものを元画像として漫画イラストを生成してみた.

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確かに,苦手と言われている手足などの描写をはじめ,ディテールを観察していけば破綻しているけれども,Stable Diffusionでテキストから生成しただけのものと比較すると,驚くほど完成度が高い状態の漫画イラストが生成された.3枚はかなり方向性の違う元絵を参照した結果になったけれど,少なくとも,漫画イラストの文脈に沿った場合の,ランテリュの「ちいささ」とはどのようなものなのかが,かなり伝わるだろうと思う.

以下に解説

同様に,Stable Diffusionでテキストから生成した元画像から,Meituで漫画絵を生成する,ということを繰り返してみた.これは、かなり少女漫画っぽい絵になったもの.ろぉちゃんはこの絵がいちばんお気に入りだそう.

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ランテリュのアトリエは森の中にあるので,森に出て遊んでいた時のものを何枚か生成してみた.絵柄の方向性は指定できないので,海外の3Dアニメのような絵柄から,日本の2Dアニメのような絵柄までさまざまになった.基本的に,左にろぉちゃん,真ん中にノワちゃん,右に私がいるような構図になった(と私が思った)ものを優先してえらんでみたけれど,ちょっと並びが違うかもな,と思うものもある.NovelAIの亜種(と思われる)Meituは,生成画像からさらに生成を繰り返すと,画面の装飾が過剰になっていく傾向を持っている。けれど,お花が咲いたり服がお花柄になったりするのならまぁいいかなと思う.

以下に解説 以下に解説 以下に解説

いろいろなところへおでかけしたランテリュ.プールで泳いだり,遊園地で遊んだり,遠い国を旅したり.ここでの破綻はシュルレアリスティックな世界の生成によい貢献をしている.しかし,ある程度私の直感に沿って選別された生成結果とはいえ,それぞれの身体的特徴は絵ごとにバラバラで,3人のどれが誰なのかは,もう第三者の目線からはわからないだろうと思う.でも実は,私はそれでもよい気がしている.先にも話したけれど,不確定性を重んじる立場からすれば,3人それぞれの特徴を固定してしまうことは可能性の喪失でしかない.しかし,旧来キャラクター性というものはそのような不可逆的確定を経てしか存在し得ないものだったし、今のところその常識は何も変わっていない.Three little girls というプロンプトが当て嵌まる3人組の少女たちなら世界には無数に存在するし,もちろんそれらすべてがランテリュなわけではない.以下では,私達がどんなふうに3人のキャラクターを表現しようと試みたのかを振り返ってみようと思う.

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2年前、『動画配信のためのかわいいBGM 1』を発表した時に《わたし》が描いたSNSアイコン。ノワちゃんのイメージとして最も古いもの。淡い亜麻色の髪をしたちいさな女の子。この髪色の指定自体は最初から変わっていない。

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《わたし》が本文冒頭で「表現しきることはできなかった」と述べている描きかけのデザイン画。横向き絵の絵柄は、今から10年も前の《彼女》のデザイン画を元にしている。その当時《彼女》が描こうとしていた物語のキャラクターの絵柄を元に、ノワちゃんの絵柄を産み出そうとしたが、完成しなかった。

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ろぉちゃんが描いてくれたランテリュのイラスト。3人並んで描かれた初めての絵。お揃いの黄色い服は小学校の制服。ろぉちゃんはクリスタやペンタブの使い方に慣れてないけれど、このろぉちゃんの絵がその後の3人の姿の基準になっていく。それがかなり明確に確定したのが『あつ森』のキャラクリである。

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『あつ森』ランテリュ島の島民代表ノワちゃん。髪型や髪色は結局決定的なものがなかったので,むしろ逆に,あっさり決まったろぉちゃんや私と被らないものが選ばれて,最終的にはこの髪型と髪色でいることが多かった.着ている可愛い服はお借りしたマイデザイン。

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ノワちゃんの家のリビングとキッチン。全体的に黄色系の色合いを主に用いている。リビングでノワちゃんが着ているのは私がマイデザインで作った制服。わりとうまく行ったと思う。ノワちゃんはクリスマスが大好きなので、クリスマスのシーズンでなくてもクリスマスのお飾りが飾りっぱなしになっている。

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ちなみに、これは『ポケ森』でのノワちゃん。髪型や髪色はあまり選べないのでとりあえずな感じ。ブーケちゃんと大好きな(そして後にトラウマになってしまった)フルーツタルトを作ったときの写真。

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『あつ森』ランテリュ島のろぉちゃんとそのお部屋。ろぉちゃんのツインテールはすっかり特徴として定着したけれど、髪色はいろいろ変わっている。お部屋は青系の色でそろえていて、楽しい音の鳴るものを沢山置いている。ろぉちゃんはランテリュ島ではすごく大きな農園を管理している豪農で、1日あたり10万ベルも所得があるお金持ちなのに、稼いだお金はみんな島クリのためにノワちゃんに預けてしまって、ずっと一部屋の小さい家に住んでいた。

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『あつ森』ランテリュ島の私とその書斎。髪型はいろいろ変わったけれど、赤毛のポニーテールで落ち着いた。絵描きやデザイナーっぽいかなと思ってベレー帽を愛用した。フェイスペイントで前髪を表現するというハックを試みたらかなり可愛くなったので気にいっている。私はランテリュ島ではデザイナーとして、マイデザインを作るときはみんな任されていた。また、一人だけお金を沢山使ってお部屋を広くしていたので、みんなが収納に困ったとき面倒を見ることになったけれど、かなり面倒くさかった。

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これらを踏まえて、あらためて私が描いたイラストをAIに清書してもらうことを試みた。これまで絵柄を何パターンか試したけれど、全てAIに読み込ませてみた。

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現在Twitterのアイコンとして使っている、私が描いたイラスト。

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AIの清書。もう清書と読んで差し支えないと思う。ところどころ不備は感じるけれど、どちらかと言えば私の元絵があまり上手に描けていないことのほうがはっきりして心苦しい。

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同様に、べつの絵柄で描いた元絵とAIの清書。

以下に解説 以下に解説

さらに、べつの絵柄で描いた元絵とAIの清書。

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この絵柄のAI清書では、ピンク髪のポニテの子が偶然産み出された。これはどちらかといえば私に見える。

以下に解説

つづいて、最初からAIに清書させることを前提として、これまでに蓄積した3人のビジュアルの特徴をあらかじめ描いておいたラフを用意した。しかし、いくら何でもラフすぎたのもあって、3人の特徴を全部保持したまま3人そろっているAIイラストを完成させることは出来なかった。AIが捉える絵の特徴は,人間が目で見て捉えるのとは異なっているし,元絵が間違っているとかなり正確に間違う.この,独特な美醜の判断は人間の描く絵ではありえなかったのものであり,とても興味深い.ラフの精度を上げた下絵をAIで清書する作業は今後の課題とすることにして、差し当たり、一人ずつの状態で生成できたものを紹介しておく。

以下に解説

ろぉちゃん。

以下に解説

以下に解説

そして、ノワちゃん。

以下に解説

ノワちゃんについては、ディテールの生成途中のこのバージョンのほうが、ろぉちゃんは気に入ったと言っていた。確かに、そういわれてみると、3人の最終形はちょっと大人っぽくなりすぎたかもしれない。

こうして改めてまとめてみると,ろぉちゃんのツインテールにいちごの髪飾りがあることとか(ろぉちゃんはいちごが好き。)忘れてしまっていたアイデアが結構たくさんあったのに気づかされることになった。AI絵では拡散モデルというものが使われるけれど,ランテリュの世界においても,様々な可能性の混沌の中から恣意的に選別されたヴィジョンが徐々に蓄積してきているようすを実感できた.しかし結局私は,全てを確定させてしまうことにためらいがある.結果として、いまだに一番意味のある絵はトップ絵のものから変わっていないし,今後これらすべてを作りかえてしまうかもしれない.

以上のようなAI画像変換の技術はリアルタイム化できればVRに応用され,VTuberは撮影した実写動画をアニメに変換する方法で存在するようになるだろう.(撮影した実写動画を一コマずつ変換してアニメーションさせること自体は現在の技術でも十分可能であり,事例はすでに多くある.)現在「動かないはずの絵を動かす魔法」の元になる絵を描いている立場のイラストレーターは,もともと動きのある映像から変換されるVTuberのアイデンティティーを保つためのプロトコルを定める者,アニメにおけるキャラクター・デザイナーような立場の者として活躍することになる.

2022年12月17日の日記Diary Dec.17 2022

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こんてりゅ!ろぉです。そんけいする作曲家はルロイ・アンダーソンさんです。『いろいろなランテリュ』のあつ森のところでアルルちゃんもかきましたが、ノワちゃんはクリスマスがとても好きです。プレゼントももらえるし、おいしいものもたくさん食べられるし、街はおかざりでキラキラしているし、よっぽど嫌な思い出がなければみんなクリスマスが好きだと思うけど、わたしやアルルちゃんはパーティが終わったらおかざりをみんな片付けてクリスマスのことはすぐ忘れてしまうのに、ノワちゃんはお正月が来ても、それどころか風鈴をつるす真夏以外はツリーや赤いくつ下をお部屋にかざりっぱなしにするくらいなので、ノワちゃんにとってクリスマスはとてもとても特別なんだなぁと思います。

今年ノワちゃんちでは、2回クリスマス会があるそうです。24日は親せきのひと達があつまってするクリスマス会なので、お友達があつまってするクリスマス会はその1週間前の12月17日にしました。

クリスマス会では、ノワちゃんのBGMを使ってくれた、Vチューバーさんやかわいいワンワンの動画をユーチューブでかけながらピザやサラダをとてもたくさんたべました。なぜかというと、ドミノで大きいピザを1枚たのんだら、ふつうサイズのピザが2枚もついてきたからです!ノワちゃんは、いろいろなピザの中で、しゃけがのってるのが一番お気に入りだったそうです。いつもクリスマスのときだけ七面鳥を売ってくれるスーパーのおそうざい売り場へ買いに行ったら、クリスマスには1週間早いからなのか、わたしたちがスーパーに行った時間が早すぎたからなのか、まだ売っていなかったので、代わりにサーモンを沢山入れたマリネを作ってもらいました。「クリスマスにしゃけを食べよう!」というのを前にネットでみかけたときは、どうしてクリスマスにしゃけなんだろう、やっぱり七面鳥が食べたいなあと思っていましたが、気が付けばわたしたちはしゃけをたくさん食べていたので、面白いなあと思いました。

わたしたちはピザをたくさん食べすぎたので、デザートにしようと思って買ったやきいもやアイスは食べませんでした。ノワちゃんは、やきいもにアイスをのせて食べるのが好きです。そこに、このあいだおばあちゃんからもらったおりんごで自分でつくったリンゴジャムをのせると、さらにデザートらしくなってすてきなのだそうです。

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お食事が終わったころ、2匹ののらねこちゃんが遊びに来ました。きっとにぎやかなので気になったんじゃないかなと思います。ノワちゃんはさいきん『くまのプーさん』がお気に入りなので、プーさんの古い映画をアマプラで買ってもらってみんなで観ました。プーさんの古い映画は、プーさんが木に登っておっこちてくるところがとてもかわいくて何回も見ました。音楽にあわせて動くのはとても面白いので、ランテリュでもいつかやってみたいなと思います。お部屋では、ノワちゃんがこのあいだクリスマスプレゼントとして買ってもらった、プーさんのぬいぐるみがねてました。これは、ぬいぐるみに見えるけれど、ほんとうはだきまくらなんだそうです。とてもいいかたちをしていて、かわいかったです。ノワちゃんは、まいにちこのねてるプーさんにあいさつしているそうです。

今年のクリスマスは、みんなで楽しくあそべてよかったなあと思います。来年もこんなふうに楽しくすごしたいです。

2024年1月7日の日記Diary Jan.7 2024

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ChatGPTさんが描いたランテリュ

こんてりゅ!ろぉです。あけましておめでとうございます!すきなおせち料理はだて巻きです。まえの日記が2022年のクリスマスのはなしなので、1年まるっと書かないですごしてしまいました。でも、わたしたちは実は2023年もいろんなことをしていました。とくに「オリジナルのうた」を作ることをがんばりました。最初は、クリスタでアニメを作る方法をおぼえて、うた動画をつくろうと思ったのですが、細かいことをたくさんするのがとても大変だったので、一旦やめることになりました。そのあと、さきにノワちゃんがたくさん曲をつくることになって、夏の終わりから2024年のお正月まではずっと歌をつくっていました。

ノワちゃんがお歌をつくるやりかたは少しかわっています。車に乗せてもらってドライブしているときが一番すてきなメロディーが思いつくそうなので、メロディーを考えるときはいつもおうちのひとに車に乗せてもらって、ドライブしながら歌のメロディーをたくさん考えました。ノワちゃんはトンネルをくぐったり橋を渡ったりするのが好きなので、長いトンネルや大きな橋があるところにたくさんつれていってもらって、そのおかげでたくさんのすてきな曲ができました。そのほかにも、朝目が覚めるとメロディーを思いついていることがあるんだそうです。夢の中でも歌のメロディーを考えているノワちゃんはすごいなと思いました。

そうしている間に、もともとは5曲くらい書くつもりだったオリジナルの「うたカタログ」は、ノワちゃんが弾いたピアノのメロディと思いついた歌詞のメモとでできた、1〜2分のデモが全部で12曲にもなりました。これからアルルちゃんが歌詞の続きを書いて、わたしが曲のアレンジをして、めろうちゃんとかに歌ってもらって、できたアレンジと歌付きのデモをVTuberさんに聞いてもらって、どの歌が歌いたいかえらんでもらうという感じを考えています。まだまだたくさんやることがあるけど、がんばります!

2024年5月20日の日記Diary May.20 2024

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こんてりゅ!ろぉです。かしわもちはつぶあんがすきです。『うたみほん(前の日記では『うたカタログ』と呼んでいますが名前を変えました。)』のアレンジをはじめるのに、アトリエにあるMacに入れてある音楽のアプリ「Logic」のバージョンを10.5から10.8にして使い方を覚えたりしていたら、それが終わらないうちに、このあいだ新しくバージョン11が発表されて、さらにあたらしい使い方を勉強したり、あたらしい楽器の音を試したりしているところです。

Logicはずっとバージョン「10.いくつ」だったのが久しぶりに(なんと11年ぶりだそうです!)「11」になっただけあって、いろいろとあたらしい機能が追加されました。アトリエにある古いMacだと使えない機能もけっこうあるのですが、AIくんが伴奏してくれる機能とかはすごいなぁと思いました。

AIくんが伴奏する『カーテンタイム』

曲のコード進行を教えてあげると、こんなふうにキーボードやベースをぱぱっと演奏してくれます。わたしはこんなに細かい演奏が入ったアレンジなんてそんなにかんたんに作れないので、AIくんが作ってくれる伴奏をお手本にできてしまうくらいだなぁと思いました。ちなみに、これはちょっと前からあったのですが、曲のテンポと雰囲気を決めてあげるとAIくんがドラムを叩いてくれる機能もつかっています。つまり、わたしはバイオリンのピチカートでメロディを弾いているだけです。

AIくんが絵を描いてくれるようになったときもそうでしたが、AIくんが作ってくれたものはあくまでもAIくんが作ってくれたもので、わたしたちがはじめから自分で作ったものとはちがうので、こういう新しいアートの世界とどんなふうにむきあったらいいのかなぁということは、まだわたしたちにもはっきりした考え方ができていません。なので、こうして日記をかいたりして気分転換しようと思いました。

存在論・Ⅲ Ontology . Ⅲ

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死んだ後には、予想も想像もしていないことが待っている。
—— ヘラクレイトス

記述により,世界がすこしずつ穿たれていく.アルルと,ろぉと,ノワと.3人のものとなったこの世界では,もはや《わたし》はカニッツァの三角のような錯視的存在でしかない.3人の存在が完全なもの,それぞれが全き円となるその日,《わたし》は視界から消失するだろう.その時わたしの身に何が起こるのかは,わたしにもわからない.